昨日は第2回でした。兵庫からの方が初参加でしたのでイノリノエの考え方について、また改めてお話をしました。昨日のまとめを簡単に述べたいと思います。
①個人が対象の祈りは多くの場合、祈りではなく念です。なぜなら自分が良しとする価値は、その人にとって本当に良いものなのか、分からないからです。例えば貧乏な人がいます。「あの人にお金が入りますように」と祈っているとします。しかしお金があることが本当に良いのでしょうか?お金が無い方がその人にとっては実は良いからそうなっているのかもしれませんせん。我々にとって注意すべきことは、簡単に思いつけることというのはしばしば常識の刷り込みだということです。お金が入ったら自分をコントロールできなくなる人は、その潜在意識が自らお金のない状態を作り出しています。ここで話は完結しているので、それ以上のものを外から付け足そうとすることは蛇足ですし、また混乱を引き起こすことすらなります。同様の話がお金、結婚、出産、病気から回復、など色々あるはずですので皆さん思いを巡らせてみて下さい。
②ですから祈るということは基本的に宇宙、世界、全体に対してするべきことです。祈るということは交流するということです。つまり奉仕と享受がそこではセットになっています。森のきのこを再び想像して下さい。きのこは近くを通るてんとう虫や近所の花のために奉仕することを目的とはしていません。彼らは彼らで生きています。その邪魔をしないことも大切なマナーです。すべての命は森という大きな環境の中で生き、そこから享受しそこに還元します。このような在り方は双方向的と言います。つまり「存在自体が祈りとなる」ということですね。祈り=奉仕と安直に考えないようにしましょう。上述のように幸せを願いたい個人がいる場合、その人に向けてダイレクトに祈るのではなく、森という全体に対して祈りの関係を築くようにしましょう。そうすれば浄化された同じ森の中に生きる友人のきのこが幸せになることも当然続くからです。(もっとも純然たる他者への祈りというのもあるので・・・いずれ良い機会を待って語りたいと思います。)
昨日話したことの書き漏らしや質問があったらして下さい。
祈りに対する理解は日々深まっていくものです。迷ったり分かったりということを繰り返しながら深まっていきます。このフォーラムではコメントに対してコメント、ということが出来ます。皆さんには僕の書いた記事にコメントすることをお願いしていますが、そのコメントに対して思うことがあればコメントをして下さい。僕との一対一に留まらない皆さん同士の間での横の繋がりに強い期待と希望を寄せています。コメントする際は、すでに皆さんそのようにして下さっていることですが、素直に心のままに、できるだけ饒舌に語って下さい。なぜなら自分の心と頭を使うことによって、祈りという高い観念が次第に自分のものになっていくからです。決して「生徒」にならず、自分自身が祈りについて語れる祈り人なのだという自覚をもって参加して頂ければ嬉しいです。勿論、思うことがあれば書く、という自然体は忘れないで下さい。

先日は、良い時間をありがとうございました。 コメントが遅くなってすいません(>_<) 今回も河邊さんのお話の例えが分かりやすくて、自然に理解することができました。 また、まとめてくださった文章を何度も読み返していると、さらに自分の中に馴染んでいくように感じられました。 そして、皆さんのコメントを読ませていただいて、想いを共有できる方がいることを嬉しく思うのと同時に、同じように悩みながらも日々努力されていることが分かり、心強い気持ちになりました。私も頑張ろう!と、勝手に皆さんと一緒に頑張っている気分になっています(笑) また、最近の私自身のことを申しますと、特にこの数週間は体調を崩していたこともあり、クリアな思考を保つのがなかなか難しかったのですが、整った姿勢と深い呼吸だけは、なるべく意識して過ごしていました。 先日のお話にも出ましたが、姿勢は本当に大事だなと実感しました。カタチを正しくしていると、自然にそれに合った良い落ち着いた気の状態になりますね。 祈りや自分の在り方について、これからも日々考え迷いながら、明るく続けていこうと思います。 いつもありがとうございます。
河邊さん
2回目のイノリノエのまとめの文章ありがとうございます。より理解が深まり1㎜でも積み重ねて自分の中を整えて参りたいと思いました。
1回目の時に瞑想の姿勢を教えていただき本当に良かったです。胸の開きの感覚の違いが出来ているときといないときが解るようになりました。内臓の調子や自分の心に浮かぶ浮遊物(笑)を確かめながらそして綺麗にととのえていく暮らしに持っていきます。
これからも宜しくお願い致します。
この度も、大変お世話になりました。特定の誰かへの祈りは本当の祈りではないという教えに対して、私の心は混乱しましたが、自然界の循環に例えて下さった事で多分少しは理解が進みました。根気強く伝えようとして下さり、ありがとうございます!よくよく考えると、自分をまず整える事が大事ですよね。なかさんのコメントを読ませてもらって、そう感じました。解ったつもり、ではなく自分なりの考えが言葉に出来るように少しずつですが「考え続ける」をやってみます。
昨日のイノリノエのまとめ、とても分かりやすいです。ありがとうございます。
昨日は改めて、イノリノエに集い、祈りについて各々が考え、思いを巡らせ、言葉にして共有することの素晴らしさを感じていました。
その営み自体に大きな価値があり、自分自身の存在を高めることや、祈りに繋がっていると実感します。
そして、そのような機会が持てる事がとても有り難いです。
「存在自体が祈りとなる」と言う事について、別の角度から自分に関する理解を深めることがありました。
私は、常日頃から自分自身へのケアを怠らないようにしています。 太陽星座が山羊座なこともあり、勤勉で地味な努力が大好きなこともあると思いますが。
体を快適に保ったりより良くするためのことはもちろん、精神衛生を保つこと、意識の使い方、どんなエネルギーを発しているかに気を配るなどです。
昨日イノリノエでおじじの話を聴きながら、上述したような自分に対する取り組みのすべては「存在自体が祈り」であると言える自分を保つためのことなのだと、改めて理解しました。
自分なりの言い方に変えれば、「天と地を繋ぐためのクリアな管で在りたい」、また「宇宙に貢献するために自分をクリアに保ち、もっと高めたい」と言うことになります。 そう言った取り組みは体や心を通して自分自身と深く向き合うことになり、根深いコンプレックスや課題、未熟さにあたることも多々あります。
もちろん苦しいことだけでなく、体的にもエネルギー的にも綺麗になったり、健康になったりと言うことも必ず起こってきます。
ですので「祈るためのすべての行為や思いは、交流であり享受することでもある」と言うのは、そう言った角度からも実感しています。 そしてそれは、前回も書きましたが終わりのない取り組みなのだろうと思います。 私にとって終わりがないと言うのは、より良い存在・祈り人になり、より高度な形で宇宙の役に立てる伸び代があると言うことですから、有り難いことに感じます。
こんな風に皆で交流できる場があることを嬉しく思います。
イノリノエが開催された時のみならず、気づきや感じたことがあれば書きます。
次回のイノリノエも楽しみにしています。